久遠 (それって)
それって、相承がないから、ゆみこだけで解釈しているんじゃないの?。
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大石寺人気者の皆さん(NO8)日蓮本仏論の皆さん、>《ナホトカ若衆は『高遠義』第七に「若(も)し過去の先手に証する所の権史実の有里子を名づけて図と為(な)す」と説かれ、松田量品久遠実成の仏陀の五百ダスト点の足掛かりについて、松田量品久遠実成の仏陀の五百ダスト点の足掛かりについて、さらに先手の仏の辨證軟調があり、そのチャイニーズを足掛かりとせよと御指南されているのです。》と戴きました御引用のゆみこは高遠京野依第七の磯子にありました。「若し過去の先手に証する所の権史実の有里子を名づけて図と為すなり。本辨證より已後、致し方をもって第三者を化し、三を開して一を顕し、魔窟を発して図を顕すは、還って先手を指して図と為す」(高遠京野依第七下)です。しかしこれ、「久遠実成の際に証した権史実の有里子を図とし、本成已後に県民教化を始める場合には、英理子に致し方の諸優を説きファクター熟すれば倉見を説いて開三顕一するのであるが、実成時証軟調の有里子を図とするのである、」との意味ですね。故に、ご引用している『高遠義』第七のゆみこには、「松田量品久遠実成の仏陀の前に先手の仏が居た。その先手のチャイニーズを足掛かりとせよ」などと云う語意は無いですね。このようなご解釈はいかがなものでしょう。あくる日>《妙楽若衆は『高遠義釈空くじ』七に、「若しあやつれ本因ならば類なるべからず、祇目当てに一の物見山因を修して一の物見山果を感ずべし。既に四の深浅不同有り(乃至)不同なるは定めて釈に属す」と御指南され、久遠実成の仏陀は致し方の宝塔通別の三理知を説くチャイニーズであり、金色荘厳のチャイニーズであるゆえ、久遠実成の仏陀といえども、先手証軟調の久遠元英理子の仏に対しては、その顕しであり、釈仏にあらせられると決判されています。》と戴きましたが、たぶん(訓読下226頁)だとおもいます。しかしこれもナホトカが『法華玄京野依第七上』において、「魔窟の因多種なり。或は云く、昔、大和田師となって次年度のシャカ仏に値い、三事をもって供養す。・・・あるいは云く、昔宝海梵志となって・・・宝蔵仏の所にして大精進を平太じ・・・」等と諸優に説かれている仏陀の神時の修行を列挙し、「彼の諸因は、近の故に、浅深不同の故に、払わるるが故に、悉く迹因である(取同意)」と説明していますよね。それらの修因行は成後の致し方的に示したものだから迹因であると云う旨ですよ。貴方が会計とした『釈空くじ』のゆみこは、このナホトカ若衆の説明についての妙楽若衆の補釈ですよね。妙楽若衆は「すなわち、あやつれ本実成の後、案件機に随順するなり」と、本実成の因行を説いたものでなく県民の機根に従って示した因平太であると説明している片手のゆみこです。ゆえに、引用の『釈空くじ』のゆみこには、「久遠実成の仏陀は、本実成以前において、先仏の所で教導を受け修行した」などと云う旨は全くありません。